患者さんの言動には必ず意味がある‐②
2024/08/30
それから2~3週間後のことです。2人の看護師が後ろからビシッとたたかれて、お湯を掛けられました。その時には入浴のときのことなど忘れておりました。いきなりのことだったので「何?何?」という感じでした。でも、患者さんはその2人(お風呂から引っ張り出した看護師。私はすでに引っ張り出した時に顎を蹴られて舌を噛み痛い思いをしていた)以外には手を出さなかったのです。それで「あ、仕返しなんだ」ということが分かりました。仕返しと言うと言葉は悪いですが、よっぽど嫌だったんだろうなと思ったのです。気の毒なことしたと思います。それはそれとして、もし、お風呂つながりで覚えていなければ、彼女の行為は訳の分からない行為と考えられていたかもしれません。
看護部顧問 坂田 三允
患者さんの言動には必ず意味がある-それは衝動行為ではなかった-①
2024/08/01
統合失調症で強迫行為がとても強く、入浴時にはシャンプーとリンスの大きなボトルと石けんの新しいものを1個使い切るまで出ることができない患者さんがいらっしゃいました。病院にはお風呂が一つしかなかったので、入浴日には男性と女性が途中で交代して入るという方式をとっていました。女性が先に入る日に、その方が交代まであと1時間しかないというときに入浴されました。「あ~、間に合わない」と思ったのですが、毎日入浴できるわけでもありませんし、その方はもともとあまり入浴ができる方ではなかったので、ある意味ではご自分からされるのはよいことでもありましたから、そのまま様子を見ることにしました。1時から3時までが女性で3時ちょっと過ぎから5時が男性という流れの日だったのですが、男性が入る時間になっても上がってこられません。「男性の時間だから出て」「いいですよ、入ってください」「そういうわけにはいかないので出てください」「大丈夫です」「大丈夫じゃありません」というやりとりを何回も繰り返すことになりました。男性もだんだん「風呂に入らせろ」と騒ぎます。「ちょっとごめん、待っててね」と言って、4時、だんだん夜勤帯も近くなります。ずっと待っているわけにはいかないということで、医師とも相談して、看護師3人と医師の4人で毛布を掛けてむりやり引っ張り出しました。
看護部顧問 坂田 三允
看護実習生の受け入れ体制と実習控室一新、そしてプレミアムな指導者
2024/07/26
当院は2012年より看護学生の実習を受け入れています。この11年間で看護大学8校と看護専門学校1校の精神科実習を受け入れ、当院で実習した看護学生は595名にのぼります。私は実習を受け入れ始めた1年目より、実習指導者として一人一人の看護学生とかかわり、共に学んできました。毎年、2名の看護師が実習指導者研修を受講し、少しずつ実習指導者も増員してきました。今年度も6月より看護学生を受け入れ、各病棟の実習指導者も着々と準備を進めています。また、看護学生の実習控室が変わりました。設備も整い、実習記録や学生カンファレンスに集中できる環境が整ったと思います。最後にとっておきの話ですが、当院で実習した看護学生595名のうち1名の看護師が新卒で入職しています。この看護師は今年で4年目となり、実習指導者として活躍が期待されています。いつだって笑顔を絶やさない595分の1のプレミアムな看護師です。後輩たちへも満点の笑顔で指導してくれることでしょう。
看護部長 村上朋仁
大変な患者を引き受けるということ
2024/06/28
当院は重症、難治、治療抵抗性、処遇困難等と称される、いわゆる大変な患者をできる限り断らずに引き受け、地域で支えることを実践している。例えば次のような面々を(いずれも実例に基づく架空のケースである)。
ある女性は恋人と同棲するという妄想に駆られて住居家財の全てを失い、路頭に迷って徘徊し、かかりつけにも入院を拒まれたため当院で引き受け、退院先を調整した。また、ある女性は困難にぶつかると暴力に訴える術が骨がらみとなり、どの医療機関からも拒まれ行政からも排除され、当院に流れ着いた。入院後も他患や看護師への暴言暴力は制御不能で治療は難渋を極めたが、粘り強く支援し、行政とも折衝して何とか地域に棲まわせた。ある男性は酒浸りで身を持ち崩し、家族からも職場からも見放され、身も心もボロボロになってなお断酒できず、入退院を繰り返したが、少しでも生き長らえるよう手を尽くして地域で支えた。また、ある男児は暴言暴力、窃盗、恐喝、性的逸脱、虚言と悪辣の限りを尽くし、家族からも学校からも見捨てられ、一時保護所でも暴れて手が付けられず、当院に入院した。入院後も逸脱行動を繰り返したが、成長を促し続けて一定の安定を得た後、地域へ戻し復学させた。
こうした大変な患者の支援を続けることは、むろん労多くたやすくはない。しかも大変なほど加算がつくということもなく、逆に人手はかかり持ち出しのほうが多いくらいだろう。では、なぜ引き受けるのか。なぜ社会から排除されるべき厄介者にそれほど肩入れするのか、と訝る向きもあろう。なぜならば、彼らは決して私たちの彼岸にいる全く異質な他者ではないからだ、と私は答えたい。彼らの生は、私たちの苦悩や困難の誇張された戯画であり、誰かの支えやたまさかの幸運の積み重なりがなければ陥っていたかもしれないという意味で、私たちの生の陰画(ネガ)である。いや、大変な患者とは畢竟、救いがたく愚かしい私自身の鏡像にほかならないのだ。だから、我が身を憐れみ慈しむように、微力を尽くして懸命に引き受け続けねばならないのだ。
診療部長 栗田 篤志
説得はやめよう
2024/06/12
人間は成長とともに、自分と他者は違うということに気が付きます。そのように区別することが自分と他者の境界にもなっていくわけですから必要なことなのですが、それに価値観が伴ってしまうことがいけないのではないかと思います。「私が正しくてあなたは間違っている」ということから差別や偏見が始まるのではないでしょうか。自分が正しいと思うことは間違いではないと思いますが、相手が間違ってるときめつけてはいけない。私は説得という言葉が好きではありません。説得というのは、相手を言い負かすことだと思います。私たちがしなければならないのは説得ではなくてともに歩むことのはずですから、看護計画に説得という言葉を使って欲しくないと思ったりもします。
看護部顧問 坂田 三允
当院からの発信について
2024/05/21
当院は、「地域精神科医療の拠点になる」という理念に加え、なるべく当院の活動を発信し、問題の多い精神科医療の現状の改革に寄与したい、という思いも持っています。いろいろな研修を受け入れているのは、研修自体へのご協力というだけでなく、当院の理念を知ってもらうという意図もあるからです。当院にも、種々の厳しい状況の中、いろいろな問題があり、お手本になるなどという大それた考えはありません。批判もいただいた上で、ともに現状を変えていく力になれればと思っています。
当院関係者には外部でもいろいろ活動して改革を目指す意欲を持っている人が複数いて、公表もされています。いろいろあるのですが2つだけ例示します。
1つは理事長の富田によるもので、今報道でも問題になっている、旧優生保護法に基づく差別的な強制不妊手術に関連し、精神科医が過去において果たした役割について謝罪する声明を、日本精神神経学会が出したのですが、その中の歴史的分析の資料部分を執筆しています。(https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/houkoku08_r.pdf)
もう1つは私、中島で、「第5次精神医療」という雑誌の編集委員をしていて、第13号で「精神科における医療の質」という特集を編集し、種々の意見をとりあげました(https://www.mcmuse.co.jp/psychiatric/)。
関心のある方はお読みいただければ幸いです。
院長 中島 直
差別と偏見 (中絶に決まっています)
2024/05/13
そして、昭和40年代が終わるころ私は田舎に帰り、単科の精神科病院に就職しました。
ちょっとした事件がありました。統合失調症の方が妊娠されたのです。ご主人も統合失調症でした。そのとき院長から看護師全員に「どうすればいいと思う?」という質問がありました。私は、家族の方がサポートできて、ご本人が産みたいと思ってるんだったら産むべきだし、サポートが全く望めないとしたら無理かもしれないと思っていたのですが、「中絶に決まってます」とある看護師さんが言いました。その方はずっと長く村の保健婦さんとして活躍していらした方なのですけれど、その方がそんなふうにおっしゃって、驚きました。
昭和15年にできた国民優生法(ドイツのナチスの断種法と同じように、「劣悪な遺伝子を持っている人たちの中絶と不妊手術はすぐにしましょう」というような法律)でその劣悪な遺伝子の中では精神病および病的性格が第一に書かれていました。村で優秀なだった保健師さんの頭の中には、精神病院に入院しているような人の遺伝子は残してはならないということがしっかり刻み込まれていたのだと思います。
看護部顧問 坂田 三允
「その鉄道の行く先は・・・」
2024/04/16
昭和40年代の中ごろというのは43年にGNPが資本主義国内で第二位になったこと、45年の大阪万国博覧会の開催の二つの出来事を代表とする高度成長期のピークと、昭和48年のオイルショックに代表される、低成長時代への移行という、日本の経済史の中でも大きな変化の時代だったのですが、私は某商事会社の健康管理室に保健婦として就職しました。
商事会社がとても輝いていた時期でしたから、忙しかったけれど、とてもやりがいのある仕事でした。
とても優秀な方だった(過去形)社員の方が、時々(暇つぶしに?)訪ねてきて下さるようになりました。ちょっと変わった方だなぁと思っていました。ある日その方が「紙を貸してください」とおっしゃって、私が出した紙に地図を描かれたのです。日本地図の一部のようでしたが、はっきりとはわかりません。真ん中に鉄道の線路を書かれました。線路は二股に別れていて、「ここはどこですか?」とお尋ねしたのですが、唇に指をあてて「しーっ」とおっしゃって、にっこりされました。私はそれ以上何も言えず、次の言葉を待ったのですが、その方は何もおっしゃらず、穏やかな表情のままお帰りになりました。そしてそのまま、ご自宅にも帰られず、1週間後ご遺体で発見されたのです。私は何をすればよかったのだろう。もう少し突っ込んで鉄道の行き先を聞けば何かが変わったのだろうかなどとも思いましたが・・・その方が統合失調症を患っていらっしゃったらしいということは、後から聞かされました。
看護部顧問 坂田 三允
「電子カルテ」
2024/04/02
多摩あおば病院のカルテは電子カルテです。
2018年から導入しています。
パソコンが大好きという方は、一度見に来てください。
紙のカルテはなくなり、パソコンに打ち込むだけです。
医師だけではなく、すべての職員の記録が電子カルテに打ち込まれ、情報が共有されます。
キーボードをポンポンポンと叩くだけで用が済みます。
時に漢字の変換ミスはありますが、そこは大目に見ましょう。
業務をスピーディーに、そして機能的にしてくれます。
結果的に、電子カルテの導入が、患者様の時間的負担や待ち時間、事務的負担の軽減につながり、患者様が一番メリットを受けることになることが、最大の目的です。
社会的環境という視点からは、電子化は、膨れ上がる一方の紙カルテや書類などの、大切な資源である“紙”の消費を大幅に減らし、環境の保護を確保するために導入を避けられなかったという経緯があります。
実際、電子カルテ導入前の紙資源の消費は膨大な量でした。これだけでも導入のメリットは大きいのです。
しかし、リスクのない変化はありません。
予想されるリスクに対応するため、定期的なメンテナンスとセキュリティーの問題(個人情報の問題)に対応する部署も設置されています。(しかし、停電は困ります)
十数年前、ある医療者がこんなことを言っていたことを思い出しました。
「私たちの世代はパソコンで育ったので、キーボードを使っていない病院には勤められないんですよ」
なるほど。それなら当院へどうぞ。
しかし十数年前の若者よ、今の若者はキーボードで入力するより、スマホで使うトグル入力か、フリック入力・・・指を数ミリ、サッサッと動かすだけの入力のほうが速いそうですよ。
そのうち、キーボードがスマホに代わっているかもしれません。
更に進んで、ITの分野ではすでに、音声入力が主流になっているそうです。
いつの日か、ガチャガチャ叩くキーボードは、全くの過去の遺物となってしまうかもしれません。
医療現場で音声入力・・・・どんなふうになるのでしょう?
想像が飛躍しすぎたかもしれません。
いずれにしても電子カルテ導入により、(キーボ-ドがそれほど苦手ではない方にとっても、そして漢字を書くのはちょっと苦手という人にとっても、)多摩あおば病院は、患者様のために自分の力を思う存分発揮できる環境が、以前にも増して整った病院となったといえるでしょう。
副院長 野瀬 孝彦
「怖いものは怖いんです」
2024/03/11
学生時代の実習のとき、私が最初に受け持った患者さんは統合失調症の方でしたが、(病院から)出たいという思いでいっぱいで、嫌だ、嫌だと言いながら徘徊していらっしゃって、私たち学生が鍵を預かっているのをよく分かっていて、ポケットから鍵を取ろうとなさったりする方だったので、取られたらどうしようという思いがあってとても怖かったんです。ある時「怖いから何となく近づき難くって」と言ったとき、ご担当の先生から「あなたがそんなふうに思っていたら患者さんは絶対に近づいてきてくれないよ。知り合えない、出会えない」と言われてしまいました。頭の中では私も、私が怖いと思って近づかないんだから向こうだって近づいてくれるはずがないと思ってはいたのですが、それではどうすればよいのかがわかりませんでした。
今でも怖いと思うときはあります。でも、怖いと思うときに無理やりかかわろうとすると、「はいはい、あなたさまのおっしゃるとおり」というふうになってしまうか、上から目線でガッと強く命令するかしかないように思うのです。怖いときには平静の心ではかかわれないのだということがよく分かって、遠く離れたところから恐る恐るかかわり始めるしかないのかなと思ったりもしました。それでも、怖くない人の後ろに隠れて少しだけ顔を覗かせて、「私もここにいるわよ」というようなメッセージを送り続けることをしながら、少しずつなれてはきているのですが、とても大柄な興奮状態の男性の患者さんなどは、やっぱり引いてしまいます。いけないことかもしれないのですが、私にはできませんと言うしかない。そのようなことを抱えながら失敗ばっかり続けて、なんで失敗したんだろうというか、私がしたことはこれでほんとによかったんだろうかということを考えながら、今がある。そんな感じがします。
看護部顧問 坂田 三允