「ちょっと手間のかかる存在」
2023/11/27
おばもその1人で、今にして思えばやや激しいそううつ病でした。躁状態が始まると大体我が家につれてこられるのですが、我が家では、自由に気の向くままに、眠たいときに眠り、活動したいときに活動するという生活を続けてもらうしかないので、それを続けてもらうのです。私は幼かったのであまり被害をこうむった記憶はないのですが、夜遅くまでしゃべっていて、朝は2時ごろにはもう起き出してご飯を炊いていたことはよく覚えています。
ご飯を食べ終わると、出かけます。1日中どこを歩いているのか分からないのですが、時には山菜を持って帰ってきたりすることもありましたので、きっとお散歩をしたりしていたのだろうと思います。時には一里(4㎞)離れた町に出掛けていきます。町に出掛けていくといってもお金を持っているわけではないので買うわけではありません。狭い町ですから、町の人も顔見知りで大体分かっているので好きなものを持たせてくれます。それを持って帰ってきます。そうするとうちの父はそれを背負って返しにいくわけです。ですから、とても困ったというわけではありませんが、やや手間が掛かったという存在の仕方だったと思います。
看護部顧問 坂田 三允
「テレビっ子」
2023/11/13
テレビをたまたま観ていて、ふと気づいたことがあります。最近は、テレビを観ることがずいぶん減った、いやほとんど観なくなったことに気づきました。全く観ない日すらあります。思い返すと、子どもの頃は毎日テレビばかり観ていて、しょっちゅう両親に叱られていました。昔は「テレビっ子」という言葉があったくらいですが、そういえば最近ほとんど耳にしなくなりました。最近の若者はあまりテレビを観ないようです。テレビ離れは私と私の世代だけではないようです。
時代が変わり、「テレビっ子」が消えた代わりに、最近では、一日中ネットゲームにかじりついている、食事中もスマホを手放さないといった、デジタルツールの問題が浮上してきています。この問題は、単純に「親の心配がテレビからネットゲームやスマホに移っただけ」とは異なる様相を呈しています。
というのは、ネットゲームやスマホは、最近では“依存”という視点から、若者だけでなく社会全体の問題として認識され始めているからです。
実は、ネットゲームやスマホに対する依存の問題はかなり前から取沙汰されていました。アルコールや麻薬などの物質依存と並んで、ネットゲームやSNSなどの行動の依存(行動嗜癖)は、社会生活や日常生活を送るうえで大きな弊害や不利益が生じている、時には身体の、あるいは心の健康が害されているのに、やめることができない状態です。
ネットゲームやSNSへの依存が形成される時には、アルコールや麻薬などへの依存と全く同じような脳内の変化が起きているという指摘があります。このような脳の仕組みを利用して、意図的に依存しやすいようなネット上のサービスを作って利用者に提供する「依存症ビジネス」・・・まさに「新時代の依存症」です。
インスタグラムの「いいね」の数が気になって、常にスマホをのぞき込んでしまう、それがやめられない・・・そのような人は、注意が必要かもしれませんね。
副院長 野瀬 孝彦
十三月さん
2023/10/31
砂かけ婆のわたくし坂田が精神科看護に携わってもう50余年が過ぎました。叔母が躁うつ病でしたので、心を病む人との関りは生まれたときからです。50余年の間に精神科はずいぶん変わりました。あんなこと、こんなこと、いろいろありました。悩んだことがないわけではありませんが、圧倒的に楽しいことの方が多かったなと思っています。思い出すままに、あんなことやこんなことを、ちょこっと書き綴ってみようかなと思います。
私が生まれたのは戦後(第二次世界大戦)間もなく、富山の「ど」がつくほどの田舎です。我が家が所属する集落には18軒の家しかなく、そんなに小さな村であっても、精神障害の方がいらっしゃいまして、私たちは当時その方たちを十三月さんと呼んでいました。十三月というのは太陰暦で13番目の月がある年を意味します。心を病んでいらっしゃる方たちは、その13月のある年は調子を崩すという言い伝えがありました。「今年は13月だから、絶対にあの人は具合が悪くなるぞ」ということがささやかれ、その人の家族はもちろん周囲の人々もその人を注意深く見守るのです。その当時は健康保険もありませんでしたし、病院そのものがほとんどなかったので、どんな方でも家で面倒見るのが当たり前でした。生活の中に十三月さんは普通にいらっしゃったのです。
看護部顧問 坂田三允
カラフルなユニフォーム
2023/10/15
あおば病院に勤務している看護スタッフのユニフォームは基本自由です。
自由と言っても派手に穴の開いたジーンズやギラギラした洋服は、ご勘弁頂いております。
現在は多くのスタッフが色とりどりのスクラブを着用しています。
私が2010年に入職した当時、病棟スタッフのユニフォームは左肩にボタンが3つの定番白衣や、ラフなTシャツ、ポロシャツ姿が多かったと記憶しています。入職して3年経った頃、病棟でチェロキーというメーカーのスクラブを皆で購入しないかという女性陣の声掛けをきっかけに、スクラブを購入しました。私に届いたスクラブの右胸にはなぜか聴診器を首にかけた白衣姿のキティちゃんが刺繍してありました。キティちゃんが聴診器をどう使うかは深く考えず、私はスクラブデビューを果たしたのであります。この当時は、海外で“ER緊急救命室”という医療ドラマが流行っており、おそらく病棟の女性陣はこのドラマを見ていた事でしょう。私の方は専ら、“ナースのお仕事”の「朝倉~!」を好んで見ていました。朝倉いずみはスクラブどころかナースキャップ付けていましたからね、もう懐かしい時代ですね。さて、あおば病院のスタッフが着用しているスクラブ色ですが、ネイビー、ブルー、ワインレッド、グレー、グリーンが多く、続いてオレンジ、イエロー、パープル、ホワイト、ブラックでしょうか。色を統一したユニフォームもチームワーク感があり格好いいですが、スタッフ一人一人が違う色のユニフォームを着ているのも個性的であり、病棟も明るくなって、色々と格好いいですよ。
さぁ、今日もカラフルなスクラブを着てビューティフルに、そしてパワフルに働き、ジョイフルな1日にしていきましょう!!
看護部 室長 村上朋仁
あおば妖怪物語
2023/10/02
多摩あおば病院には妖怪が3人(妖怪は人ではないので人でよいのかどうかわかりませんが)いるという人がいます。代表は百鬼夜行のまとめ役(諸説ありますが・・・)ともいわれる「ぬらりひょん」のような事務局の顧問さんです。本当かどうかわかりませんが、昔はさまざまなお仕事をなさっていて【警察】とも【ヤクザ】とも渡り合える「もめごと一切なんでもこい」という太っ腹な後期高齢者(82歳)。とても頼りになるおじい様なのです。妖怪にたとえるなど恐れ多くてといいつつ、やっぱり「ぬらりひょん」だなぁと思っている私です。
手堅く、真ん中を占めていらっしゃるのは法人の理事長様。後期高齢者(80歳)ではあるけれど、たとえる妖怪が見当たらなくて困りました。魔物から神様に昇格した稀有な妖怪と言われる“天狗様”でしょうか。天狗様は、御祭神として崇敬者に災難が起こった時、直ちに飛翔して災難を取り除いてくれる偉大な威力の持ち主と言われています。あおば病院の守り神として大切なお方だと言えましょう。また天狗様は性格的には気性がとても荒く自信に満ちている一方、修行僧のように潔癖だともいわれているのですが、“それもまたあたらずと雖も遠からず”の様な気がします。
しんがりを務めさせていただくと言いたいところなのですが、本来の意味でのしんがりのように追っ手を防いでえらい人たちの安全を守るなどと言えるわけではなく、後ろから最後にとぼとぼとついていくのが私、看護部顧問でございます。後期高齢者に足を踏み入れたばかり(77歳)で、妖怪に例えるなら、さしずめ“砂かけ婆”もしくは“小豆とぎ”といったところでしょうか。悪さもささやかに砂をかけて脅したり、小豆をとぐ音をさせて、通りすがりの人を川に落とす程度のものでございます。砂かけ婆には味方の体力を回復させるという力もあるそうでございますが・・・そうできればいいなぁと思って居るところでございます。
看護部顧問 坂田三允
ブログ始めました
2023/09/15
ブログを始めることと致しました。役職者が交代で執筆します。当院の日常や目指していることを、少しずつでも発信していければ、と存じます。
私は2001年10月にこの病院に来ました。最初は長く勤めるつもりはなく、数年で重度の人を診る県立病院などに移れればと思っていました。しかし、この病院の、病気が重い人もできるだけ断らずに受け入れて、何とか退院にして、地域で支える、という実践を見て、最初は驚愕し、次第に自分もそれに染まっていき、いつの間にか22年が過ぎようとしています。先輩たちの退院促進はきわめて強力で、それを学びつつ、私は長期入院者が退院して空いたベッドを利用しての急性期医療を中心に担ってきました。その後、私の念願であった物質使用障害のプログラムも立ち上げられましたし、痛感していた児童・思春期の精神科医療の必要性も、病棟の立ち上げという形に結実しました。この過程でさらなる退院促進も経験しました。大変ですし、忙しい毎日ですが、皆その意義を感じながら仕事をしています。
プライバシーにかかわること以外はなるべくオープンに、ということで、統計なども種々の項目を明らかにしています。
ご意見・ご助言など、ぜひお寄せいただければ幸いです。
院長 中島 直