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オスラー先生の3原則

2025/04/23

1849年のお生まれなので、ずいぶん古い方なのですが、ウイリアム・オスラーというカナダ生まれの内科のお医者様がいらっしゃいます。その方の「平静の心」という講演集があります。私はとても気に入っていて時々読み返すのです。


オスラー先生の3原則というものがありまして、それは何かといいますと、患者さんはどのような問題でやって来ているのかということを第1に、そして、それに対して私たちは何ができるのかということを2番目に考えて、3番目に、私たちがそのようにした場合、患者さんのこれからの人生はどうなるのかということを考えてから何かをなせということなのです。


患者さんはなんでここに来たのかっていうことを知るためには、聞かなければなりません。耳を澄ませて患者さんが言いたいことを聞き取らなければなりません。それは主訴として言葉になっていることとは全く違うことかもしれない。でも、その何かを見つけない限りは、私たちはそれに対して何ができるかを考えることはできないわけですね。ですから、言い古されたことではありますが、相手が伝えようとしているものに耳を澄ませてみようということ、また、患者さんと同じ目線で、同じ位置に立って、同じものを見る。同じレベルに立っているのだけれど、それから少し離れて一定の距離を保つということもとても大切なんだ、それが平静の心だとおっしゃっているのです。それは言葉を変えるなら、同情ではなく共感ということになるのかなと思うのです。でも、これが共感でこれが同情なのだと言葉で説明できるほど、私は達人でも何でもないのでうまく伝えられないのですが、いつもそうありたいと思っていることが、きっと大切なのかなと思っています。


次に何をしようかを考えることが始まり、私たちのすることが患者さんのこれからにどう影響を及ぼすのかを考えなければならない。例えば外科治療というのは、ある部分を取り除くことです。例えば胃袋の一部がない人を作り出すことですね。胃袋の一部がない人のこれからの生活がどうなるか。確かにがん細胞は取り除いたかもしれない。でも、胃袋のない生活をこの人はどうやって送っていくのだろうということまで説明し、その結果を考えた上で、私たちはその人に対して何かをすること。もちろん、理想どおりにすべてができるわけではないのだけれど、そういうことを考えないままに行ってはいけないことが、おそらくたくさんあるのだろうと思うのです。

看護部顧問    坂田三允

医者も病んでいる

2025/04/10

患者が病み、その家族も病むのと同様、医療者もまた病む。医師や看護師は自らを厳しく律して病気ひとつしない健康優良者であるかのような通念は、幻想に過ぎないと思う。
かのハリー・スタック・サリヴァンは、自らを予後の良い統合失調症と評したという。アイルランド移民の貧農としてアメリカに育った彼は、家畜が唯一の友という極限の孤独を潜り抜ける中で、精神の危機に陥った。後に伝説的な精神科医と仰がれる存在となったサリヴァンは、それゆえ思春期における同性間の親密な交流chumを、発病予防(レジリエンス)に欠かせない体験として重視した。その思想をもとに、同性看護師による小人数ユニットでの手厚いケアを実践し、まだ抗精神病薬のなかった時代に統合失調症治療において大きな成果をおさめ、独創的な精神医学理論を構築した(1) 。
あまたの選択肢から精神科へ導かれることは、おそらく偶然ではない。自ら心を病む、あるいは身近な他者が心を病むことを経験する等して、心の闇に強く巻き込まれつつ惹きつけられていく。あるいは、日々の臨床に身を浸すうちに、自らの心が蝕まれていったとしても何ら不思議はない。もとより深く精神を病む人間の治療に携わる業は、必然的に己が身を削るがごとき代償を課す。我が身を翻っても、予後の良い自閉症なのか予後不良のアルコール依存症なのかはさておき、操作的診断基準に照らし合わせれば、いくつかの精神障害に該当するかもしれない。ある者は飲み、ある者は搏ち、ある者は買い、市販薬をODする者も、自ら精神科ユーザーとなり投薬を受ける者も、秘密裡に自傷行為をする者もあろう。こうして我々は何とかして生き延びながら職務を全うする。しかし、不幸にして死を選ぶ者もある。一般と比してわが同業者の自殺率が高いことは、つとに知られた事実である。
精神の病いと限らない。私たちはおよそありとあらゆる病や災厄に陥る可能性を免れない。うつ病にも、統合失調症にも、認知症にも、心筋梗塞にも、癌にも、肺炎にも、不慮の事故にも、自然災害にも。堕した己を再び顧みれば、健診を受ける度に高血圧、肝機能障害、メタボリックシンドローム等と指弾され要治療と突き付けられるが、所詮はこんなものよとうそぶき、医者の不養生よろしく内服もままならない。ちなみにサリヴァンは、臨床的・学問的に大きな功績を残した後、世界会議の重責を果たすための渡航中、脳卒中により57歳でパリに客死した。
対岸の火事ではない。やはり、すぐにでも節制をせねば。1人でも多くの患者を救うために健康で長生きせねば。ジムに通ってエクササイズに励まねば…。いやいやいや、そうは問屋が卸さない、が本稿の論旨だった。おいそれと聖人君主にはなれず、日々大小の病を抱えながら生きざるをえないことにおいては、患者も医者も大同小異である。だからジムなどはやめにして、いざ酒場へゆかん。そしてしたたかに酔い、激務の澱を洗い流そう。
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(1)中井久夫 2012 『サリヴァン、アメリカの精神科医』みすず書房

診療部長 栗田 篤志