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「その鉄道の行く先は・・・」

2024/04/16

 昭和40年代の中ごろというのは43年にGNPが資本主義国内で第二位になったこと、45年の大阪万国博覧会の開催の二つの出来事を代表とする高度成長期のピークと、昭和48年のオイルショックに代表される、低成長時代への移行という、日本の経済史の中でも大きな変化の時代だったのですが、私は某商事会社の健康管理室に保健婦として就職しました。

 商事会社がとても輝いていた時期でしたから、忙しかったけれど、とてもやりがいのある仕事でした。

  とても優秀な方だった(過去形)社員の方が、時々(暇つぶしに?)訪ねてきて下さるようになりました。ちょっと変わった方だなぁと思っていました。ある日その方が「紙を貸してください」とおっしゃって、私が出した紙に地図を描かれたのです。日本地図の一部のようでしたが、はっきりとはわかりません。真ん中に鉄道の線路を書かれました。線路は二股に別れていて、「ここはどこですか?」とお尋ねしたのですが、唇に指をあてて「しーっ」とおっしゃって、にっこりされました。私はそれ以上何も言えず、次の言葉を待ったのですが、その方は何もおっしゃらず、穏やかな表情のままお帰りになりました。そしてそのまま、ご自宅にも帰られず、1週間後ご遺体で発見されたのです。私は何をすればよかったのだろう。もう少し突っ込んで鉄道の行き先を聞けば何かが変わったのだろうかなどとも思いましたが・・・その方が統合失調症を患っていらっしゃったらしいということは、後から聞かされました。

看護部顧問 坂田 三允

「電子カルテ」

2024/04/02

多摩あおば病院のカルテは電子カルテです。

2018年から導入しています。

パソコンが大好きという方は、一度見に来てください。

紙のカルテはなくなり、パソコンに打ち込むだけです。

医師だけではなく、すべての職員の記録が電子カルテに打ち込まれ、情報が共有されます。

キーボードをポンポンポンと叩くだけで用が済みます。

時に漢字の変換ミスはありますが、そこは大目に見ましょう。

業務をスピーディーに、そして機能的にしてくれます。

結果的に、電子カルテの導入が、患者様の時間的負担や待ち時間、事務的負担の軽減につながり、患者様が一番メリットを受けることになることが、最大の目的です。

社会的環境という視点からは、電子化は、膨れ上がる一方の紙カルテや書類などの、大切な資源である“紙”の消費を大幅に減らし、環境の保護を確保するために導入を避けられなかったという経緯があります。

実際、電子カルテ導入前の紙資源の消費は膨大な量でした。これだけでも導入のメリットは大きいのです。

しかし、リスクのない変化はありません。

予想されるリスクに対応するため、定期的なメンテナンスとセキュリティーの問題(個人情報の問題)に対応する部署も設置されています。(しかし、停電は困ります)

十数年前、ある医療者がこんなことを言っていたことを思い出しました。

「私たちの世代はパソコンで育ったので、キーボードを使っていない病院には勤められないんですよ」

なるほど。それなら当院へどうぞ。

しかし十数年前の若者よ、今の若者はキーボードで入力するより、スマホで使うトグル入力か、フリック入力・・・指を数ミリ、サッサッと動かすだけの入力のほうが速いそうですよ。

そのうち、キーボードがスマホに代わっているかもしれません。

更に進んで、ITの分野ではすでに、音声入力が主流になっているそうです。

いつの日か、ガチャガチャ叩くキーボードは、全くの過去の遺物となってしまうかもしれません。

医療現場で音声入力・・・・どんなふうになるのでしょう?

想像が飛躍しすぎたかもしれません。

いずれにしても電子カルテ導入により、(キーボ-ドがそれほど苦手ではない方にとっても、そして漢字を書くのはちょっと苦手という人にとっても、)多摩あおば病院は、患者様のために自分の力を思う存分発揮できる環境が、以前にも増して整った病院となったといえるでしょう。

副院長 野瀬 孝彦

「怖いものは怖いんです」

2024/03/11

学生時代の実習のとき、私が最初に受け持った患者さんは統合失調症の方でしたが、(病院から)出たいという思いでいっぱいで、嫌だ、嫌だと言いながら徘徊していらっしゃって、私たち学生が鍵を預かっているのをよく分かっていて、ポケットから鍵を取ろうとなさったりする方だったので、取られたらどうしようという思いがあってとても怖かったんです。ある時「怖いから何となく近づき難くって」と言ったとき、ご担当の先生から「あなたがそんなふうに思っていたら患者さんは絶対に近づいてきてくれないよ。知り合えない、出会えない」と言われてしまいました。頭の中では私も、私が怖いと思って近づかないんだから向こうだって近づいてくれるはずがないと思ってはいたのですが、それではどうすればよいのかがわかりませんでした。

 今でも怖いと思うときはあります。でも、怖いと思うときに無理やりかかわろうとすると、「はいはい、あなたさまのおっしゃるとおり」というふうになってしまうか、上から目線でガッと強く命令するかしかないように思うのです。怖いときには平静の心ではかかわれないのだということがよく分かって、遠く離れたところから恐る恐るかかわり始めるしかないのかなと思ったりもしました。それでも、怖くない人の後ろに隠れて少しだけ顔を覗かせて、「私もここにいるわよ」というようなメッセージを送り続けることをしながら、少しずつなれてはきているのですが、とても大柄な興奮状態の男性の患者さんなどは、やっぱり引いてしまいます。いけないことかもしれないのですが、私にはできませんと言うしかない。そのようなことを抱えながら失敗ばっかり続けて、なんで失敗したんだろうというか、私がしたことはこれでほんとによかったんだろうかということを考えながら、今がある。そんな感じがします。

                         看護部顧問 坂田 三允

「入院したら退院するのが当たり前」

2024/02/26

 病院というのは入院したら退院するのが当たり前です。しかし日本の精神科はそうなっていません。職員が「退院」を口にできない病院があるとも聞きます。ベッドが空いてしまって減収となるからです。ある時点で入院している人のうち、1年以上入院している人がおよそ3分の2を占めています。ある時点で入院した人が、1年後も入院している率が12%という高値です。当院のデータはこれとは違います。是非当ホームページの「統計資料」をご覧ください。
 近年は「地域移行」という言葉が使われます。当院のあるスタッフが、退院は当たり前なのだから、「地域移行」という言葉はおかしい、と言いました。そのとおりです。私は昨年、ある市で、「なぜ退院促進が必要なのか」というテーマでの講演を依頼されて行いました(その市は実は地域サポートにとても頑張っている市です)。「地域移行」、「退院促進」などという言葉を使わなくてもよいようになって欲しいと思います。
 私たちの病院も、少ないとは言え、いろいろ工夫をしても長期にわたりなかなか退院できない人がいます。皆で知恵を絞っています。今後も努力を続けていきたいと思います。

院長 中島 直

「環境の違い」

2024/02/05

 高校を卒業して、私は東京で学生生活を送り就職をしました。就職をするにあたって、私は精神科で働きたいと思い、一つの精神科病院を訪ねました。その時に、院長先生から「例えば火事になった時あなたは病棟の鍵を開けたら真っ先に逃げてください。それができないのであれば、ここに就職はできません」と言われました。患者さんが逃げ遅れて亡くなっても、文句を言う人はいないけれど、あなたのような若い看護師さんが亡くなってはご両親に申し訳ないですからということでした。私は別のところに就職しました。

六畳一間のアパート(当然共同のトイレ、炊事場)から始まった生活の中で、私は東京というところでは心を病んでいる人たちは自然には過ごせないのだと思うようになりました。時代が違っていたというのもあるのですが、例えば午前2時に、ご飯を炊いてバタバタされたら、隣に住んでいる人はきっとたまらないだろうと思います。ですから、物理的な環境というのは、その病んでいる方たちの生活にとても大きな影響を及ぼすものなんだなと思いました。社会に復帰されていくことを考えたときに、田舎の一軒家に退院なさるんであれば、少々躁状態が治まっていなくても、退院されても大丈夫でしょうけれども、六畳一間に送り出すわけにはいかないということも考えなければいけないだろうということです。

看護部顧問 坂田 三允

日本精神科看護学会に参加しました

2024/01/15

去年の11月に埼玉県で開催された日本精神科看護協会が主催する学会に参加してきました。

コロナの影響でオンデマンドの参加をしてきましたがひさびさに現地開催に参加することができました。

学会となると全国の認定看護師に再会して交流を持つことも大きな目的になっていました。今回は数年ぶりの再会を果たし大いに盛り上がりました。

新しい知識や看護を学ぶ事も大きな役割ですが、全国各地の看護師と交流を持つことは地域による精神看護の問題を知ることができたり、その他にも大きな収穫になります。自身が今後看護師を続けていくうえでやる気にもつながります。

看護部 副部長  緑川雅

「エネルギー対エネルギーの看護」

2023/12/25

当然のことながら薬などは飲んでおりません。それでも大体3~4カ月もたつと収まっていく。ですから、必ずしも躁状態に薬はいらないかもしれない。そんなこと言ってしまうと病院はどうなるのよという話になるかもしれないのですが、3~4カ月我慢することができれば、別に治療はいらないかもしれないというのが私の原点と言うか始まりなんです。それでも、もう少しハイテンションになることもありまして、1軒だけあった精神科の病院に入ってもらうこともありました。あるとき、退院してきたときに前歯が4本全部なかったということがありました。殴られたのだと思うのですが、そうでもしなければテンションが高過ぎて病院の看護師さんたちは見ていられなかったのだろうと思います。そのころの精神科看護は、まさにエネルギー対エネルギーの看護であったと大先輩から聞いたことがあります。私が看護師になって勤めた病院で、患者さんが無断離院されて連れ戻されたときに、私たちのところで「ぶたないでください、ぶたないでください」と言ってうずくまってしまわれたことがあります。日常茶飯事的に何かが起こればぶつということをやっていた精神科の病院がたくさんあったということだと思います。

エネルギー対エネルギーの看護を私は否定するつもりはありません。薬物などなかった当時はそれしかなかったのだと思うからです。でも、エネルギーとエネルギーがぶつかるとき、どこに出発点があるかによって、その後に残るものはずいぶん違うと思います。患者さんが危険なことをしようとしているとき、それを力ずくで止めようとしてのぶつかり合いであるなら、その看護師の思いはきっと患者に伝わると思うからです

                             看護部顧問 坂田 三允

23年ぶりの母校へ

2023/12/11

こんにちは、看護部の村上朋仁です。私は2000年に看護師免許を取得、そして2010年から多摩あおば病院で働いています。当院は2012年から看護実習生を受け入れており、私も実習指導者として、これまでに8つの大学の学生さんを受け入れ、共に学んできました。そして今年の9月より北多摩看護専門学校の学生を受け入れています。この北多摩看護専門学校は私の母校であり、当院とも車で30分程度と比較的近い場所にある学校です。実際に9月に始まった実習では6名中5名の学生が自転車で通って来ていました。残暑の中、汗だくでの自転車通学お疲れ様でした。そして今年の11月10日、母校で開催される就職説明会に参加のお誘いがあり、実に23年ぶりに母校に行って来ました。職員室やテニスコートは当時のままであり、「もう23年か・・・」と学生時代を思い起こしながら、校内を見渡してきました。しかし説明会が行われた大講堂は全く記憶に残っておらず、こんな立派な講堂があったのかと不思議な感覚の中、壇上に上がり20分間当院の紹介をさせていただきました。強烈な睡魔に打ちのめされている学生さんもいましたが、昼食のお味噌汁の画像を出した時は、会場から少しの笑いが起こり、ホッとしています。皆さん、最後まで聞いて下さり、本当にありがとうございました。次回は来年2月15日にブース形式での説明会に参加させていただきますので、是非来て下さい。近い将来、多摩あおば病院に就職したいという看護師が母校の卒業生から生まれる事を祈っています。まずは精神科実習でお会いしましょう。心よりお待ちしております。

看護部室長 村上朋仁

「ちょっと手間のかかる存在」

2023/11/27

 おばもその1人で、今にして思えばやや激しいそううつ病でした。躁状態が始まると大体我が家につれてこられるのですが、我が家では、自由に気の向くままに、眠たいときに眠り、活動したいときに活動するという生活を続けてもらうしかないので、それを続けてもらうのです。私は幼かったのであまり被害をこうむった記憶はないのですが、夜遅くまでしゃべっていて、朝は2時ごろにはもう起き出してご飯を炊いていたことはよく覚えています。

 ご飯を食べ終わると、出かけます。1日中どこを歩いているのか分からないのですが、時には山菜を持って帰ってきたりすることもありましたので、きっとお散歩をしたりしていたのだろうと思います。時には一里(4㎞)離れた町に出掛けていきます。町に出掛けていくといってもお金を持っているわけではないので買うわけではありません。狭い町ですから、町の人も顔見知りで大体分かっているので好きなものを持たせてくれます。それを持って帰ってきます。そうするとうちの父はそれを背負って返しにいくわけです。ですから、とても困ったというわけではありませんが、やや手間が掛かったという存在の仕方だったと思います。

看護部顧問 坂田 三允

「テレビっ子」

2023/11/13

テレビをたまたま観ていて、ふと気づいたことがあります。最近は、テレビを観ることがずいぶん減った、いやほとんど観なくなったことに気づきました。全く観ない日すらあります。思い返すと、子どもの頃は毎日テレビばかり観ていて、しょっちゅう両親に叱られていました。昔は「テレビっ子」という言葉があったくらいですが、そういえば最近ほとんど耳にしなくなりました。最近の若者はあまりテレビを観ないようです。テレビ離れは私と私の世代だけではないようです。

時代が変わり、「テレビっ子」が消えた代わりに、最近では、一日中ネットゲームにかじりついている、食事中もスマホを手放さないといった、デジタルツールの問題が浮上してきています。この問題は、単純に「親の心配がテレビからネットゲームやスマホに移っただけ」とは異なる様相を呈しています。

というのは、ネットゲームやスマホは、最近では“依存”という視点から、若者だけでなく社会全体の問題として認識され始めているからです。

実は、ネットゲームやスマホに対する依存の問題はかなり前から取沙汰されていました。アルコールや麻薬などの物質依存と並んで、ネットゲームやSNSなどの行動の依存(行動嗜癖)は、社会生活や日常生活を送るうえで大きな弊害や不利益が生じている、時には身体の、あるいは心の健康が害されているのに、やめることができない状態です。

ネットゲームやSNSへの依存が形成される時には、アルコールや麻薬などへの依存と全く同じような脳内の変化が起きているという指摘があります。このような脳の仕組みを利用して、意図的に依存しやすいようなネット上のサービスを作って利用者に提供する「依存症ビジネス」・・・まさに「新時代の依存症」です。

インスタグラムの「いいね」の数が気になって、常にスマホをのぞき込んでしまう、それがやめられない・・・そのような人は、注意が必要かもしれませんね。

                               副院長 野瀬 孝彦