~モチベーションマネジメントのこと~②
2025/08/06
モチベーションとは(行動などに対する)動機づけや刺激、やる気、意欲である。人が一定の方向や目標に向かって行動し、それを維持する働きともいえる。モチベーションは、ドライブ(動因、駆り立てるもの)とインセンティブ(誘因、行動を誘発するもの)という2つの要素から成り立つ。つまり、モチベーションを向上させるには、誘因か動因、あるいはその両方が必要ということになる。
(ふむふむ)
誘因は外部から報酬を与えて、モチベーションを向上させようとする方法で、外発的動機づけといわれる。特別ボーナスが出ることや、ほめられることがこれにあたる。
(う~んこれは余り期待できないぞ)庭の草が無くなっても誰も感謝などしてくれないだろうし、美味しい食事を作っても当たり前だものなぁ。
それに対して動因は自らの意思で主体的に目標を立て、目的に向かって行動を起こすような方法で内発的動機づけといわれる。
たとえば「衝動買い」はディスプレイが誘因になり、「買いたい」という動因が引き起こされた結果として生じる。また、「買いたい」という強い動因があれば、ディスプレイという誘因がなくても買いに行く行動は起こるが、いくら強い誘因があっても動因が生じなければ行動は起きない。
(なるほど)
つまり、モチベーションをあげる(やる気を出す)もとは自分の中にあるということだ。
看護部顧問 坂田三允
毎日を元気に過ごす ~モチベーションマネジメントのこと~①
2025/07/22
片道2時間半の通勤が大変だと思うようになって、お仕事を減らした。長時間家にいることになって念願の「晴耕雨読の自由な生活!!」のはずだった。ところが、「ねばならぬこと」がなくなってしまったら、いやいや「ねばならぬこと」がないわけではないのだがそれこそ、締め切りのないいつでもできることばかり。生来怠け者(だったのかなぁ)の私は、だらだらとメリハリのない毎日を過ごすようになってしまった。何となく、元気いっぱいと言うわけにはいかなくなった。
元気が出ることってどんなことだろう。嬉しいことや楽しいことがあったとき?たとえばお仕事をしていて特別ボーナスが支給されることとか?それは「思いがけないことで嬉しいですね~」でも、仕事を辞めたらそんなことは起こらない。自分のしたことが高く評価されて褒められることや感謝されることなども、元気の元になるかもしれないけど、庭の草取りをしたからと言って、誰かがほめてくれるわけもないし、感謝されるわけでもない。楽しいことを計画していて、それが近づいてくるとなんだか浮き浮きして元気が出てくるということもあるなぁ。
楽しいことを計画する!!楽しいことはそれが終わってしまうと、「祭りの後」の虚しさが漂ったりはするけれど、それでも次の楽しみを計画すれば、再び元気になる。何より他者まかせではなく、自分の好きなようにできることがよい。いつも鼻先にニンジンをぶらさげないと走れない馬のようだけど、それで元気を維持できるなら、それはそれでよい。
というわけで、以前にちょこっとお勉強したことがある「仕事に対して元気に取り組んでいくための方法」であるといわれる、モチベーション・マネジメントのことを再学習(?)してみようと考えた。
看護部顧問 坂田三允
ハラスメントについて
2025/07/02
今、いろいろな「ハラスメント」が問題になっています。お客さんの立場からの過度な要求が「カスタマー・ハラスメント」と言われます。病院では「ペイシェント・ハラスメント」とも言いますね。患者さんご本人からのものもありますし、ご家族など関係者からのものもあります。
患者さん等から御不満の声などが寄せられる場合、もちろん病院が正しいばかりとは言えません。私たちが考え方ややり方を改めなければならないことも、実は少なくありません。当院もいろいろなルートで検討し、改めるべきところは改めてきているつもりです。
但し、すべてにお応えできるわけでもないのも、またご理解いただきたいところです。寄せられるご要望は人手があれば解決できるものが多いですが、それには人件費がかかります。病院は診療報酬で収入が細かく規定されており、営業努力などで増収を図ることには限界があります。むやみに人を増やすことができません。また、熟練した専門家には限りがあり、たやすく採用できるわけではないことも加わります。健康保険にはいろいろ不合理な制約もあって、求められた医療を行うことが医学的には妥当と考えられてもそれができないこともあります。
また、医療でできることについての理解が、ご本人やご家族と私たちとの間で差があり、そこが問題になることもあります。
実は、夜間や休日など、人が少ないときに、電話や対面で、患者さんやご家族から職員に、長時間のお話をされることが少なくなく、病院の大きな負担になっています。繰り返すように、私たちの対応に問題があり、当然のご要望のこともあります。しかし、そうではないこともあります。一般企業でカスタマーセンターのようなところがあるところもありますが、そういうところは多くは電話受付時間が平日日中ですし、電話をしても「ただいま電話が大変混み合っております・・・」となって待たされることがしばしばです。しかし、病院は、急を要する患者さんがいらっしゃるので、電話の24時間対応は当たり前で、職員も24時間誰かはおりますので、「逃げられない」立場にあります。このあたりも問題を複雑にしていると感じます。
さらに問題なのは精神科に固有の事柄です。特に患者さんご本人が、コミュニケーションに苦手な部分があることがあります。この場合は病院としてはそれに時間をとって対応することが求められると思いますが、大声、威圧などが加わって、ハラスメント類似の問題に至ることもあります。最近でも病院内での暴力が問題になっており、病院内はもとよりどこであっても暴力が許されないことは確かですが、暴力自体が症状である患者さんがいらっしゃることもまた事実で、これは「ハラスメント」として扱うよりも治療の対象としてみなさなければならないこともあります。こうした見極めを、私たちは日々求められています。
いずれにしても、なるべく良好な関係のもと、最善の医療を行い、患者さん、ご家族に満足いただける結果に導くことが最良であることは論を待ちません。当方も努力しているつもりですが、不充分な点についてはお聞きして改める用意があります。患者さん、ご家族の皆様におかれましても、病院の事情をご理解いただきますよう、この場を借りてお願いいたします。
院長 中島 直
人間関係って難しい(-_-;); コミュニケーションについて思うこと②
2025/06/18
看護は多くの人とのかかわりなしにはできない仕事である。看護師と患者の関係は、看護師を通して進展していく。
看護師としては、患者さんの情報を得るのは仕事のうちでもあるのだが、患者さんには、答えたくないことやときがある。ご家族は何人ですかと聞いたとき、嫌な顔をしたら、言いたくないことなのだな、と察することも一つの情報だろう。患者さんには鎧をつけている方もいれば、高い壁のある人もいる。「う~ん、めんどうくさいなぁ」と思わないでもない。だけど、鎧が1つずつ取れるのをゆっくりと待つしかないのである。無理にこじ開けると鎧がもっと強固になることの方が多いからだ。
看護という仕事に限らず、私は相手との関係を3つの階層の分類でとらえることにしている。第1層は、自分の家族だったり、大切な人 自分にとって重要な他者とのかかわり。第2層は、仲のよい友達。そして第3層はビジネスライクのおつきあいの人。
1層の人は別として、人との関係は、まず3層から始まる。ビジネスライクなかかわりの中で、何かのきっかけで、家族のことや趣味などの話題が出て、同調したり共感するようなことがあって、距離が少しずつ縮まっていく場合もある。すべての人間関係を3層から2層に発展させていく必要はないし、してはならない場合の方が多いかもしれない。けれど、3層の人の話も興味をもって聞いていると、時として、相手の気持ちがわかることがある。一線をひいての関わりであっても、相手に幸せな顔になってもらいたいという気持ちが生まれてくることもある。このときは、相手のためになりたい自分を楽しめばよい。あとで黒バックのような話になるかもしれないが、なっても後悔しない。自分がしたことは、自分で決めたことだから。
看護部顧問 坂田三允
備蓄米と健康
2025/06/04
5月に農林水産大臣が変わり、備蓄米がスーパーなどでも買えるようになりました。
お米が主食の私たちにとって、ふところ具合を気にせず“ご飯”が食べられることは、本当にありがたいことです。
そんな呑気なことを考えながら江戸時代の学者、貝原益軒の「養生訓」を読んでいると、“精白された白米は身体を弱くする。麦や雑穀を混ぜたほうが良い”とありました。
そうでした。白米ばかり食べていると「脚気(かっけ)」になってしまうのでした!
もっとも現代は副菜なしで白米だけを食べている人は少ないでしょうが、江戸時代は大都市「江戸」の上級武士や富裕層は白米をたらふく食べて「脚気」になり、下級武士や貧困層は麦や雑穀を食べて、「健康」だったようです。
これは「江戸わずらい」と呼ばれ、「江戸に長くいると足が立たなくなる奇病」と恐れられていました。
原因はビタミンB1欠乏症です。慢性的なアルコール依存症で発症する「ウェルニッケ・コルサコフ症候群」で出現する記憶障害や幻視もビタミンB1の欠乏によるものです。
ちなみに、ビタミンB12やビタミンB9(葉酸)が欠乏すると、妄想や被害感、抑うつ状態や認知機能の低下を引き起こすといわれています。
一時的には「認知症」を疑われることもありますが、欠乏を補えば症状は改善します。
「歯ぐきからの出血」が有名な「壊血病」はビタミンCの欠乏によるものですが、ビタミンCの欠乏は、思考の混乱や感情の極端な不安定さ、不眠などの原因にもなります。
また近年は、ビタミンDとうつ病、統合失調症、更にはASDとの関係も指摘され始めています。免疫や神経伝達物質、脳内炎症にも関係しています。
ビタミンDは食べ物から摂取すると同時に、日光に当たることで体内で作られるビタミンでもあることから、日照時間の減る冬に「気分が沈む」「やる気が出ない」などの症状のある場合は、ビタミンD不足を疑う必要があるかもしれません。
しかし誤解しないでください。ビタミンはたくさん取ればよいというわけではありません。
特に「脂溶性ビタミン」と言われる、(ビタミン)A,D,E,Kは身体に蓄積されやすく、中毒症状を起こし、腎機能や神経系が障害されることもあります。
「ドラゴンボール」に出てくる仙豆(せんず)とは違います。どれほどビタミンを取っても私たちはスーパーサイヤ人にはなれないのです。
お米も食べられるようになったことですし、一番大切なことは、バランスの取れた食事をして、朝日を浴びて、睡眠をしっかりとる。
これが一番健康によいのでしょう。
それが難しいのが、現代人なのでしょうが・・・。
副院長 野瀬 孝彦
人間関係って難しい(-_-;); コミュニケーションについて思うこと①
2025/05/28
もうすぐ傘寿を迎えようとしている歳になったというのに、いまなお、人間関係とはなんと難しいものなのだろうと思うことがある。人は一人一人異なった存在であり、外的体験は共有できるけれども、内的体験を共有することはできない。何人かの人が同時に同じものを見、同じことを聞いても同じように感じるわけではない。人が人とかかわるというのはその異なったもの同士がお互いに近づいていくということである。逆にまた、人が存在するということは、他者がそこに何かの意味を見出すなら、存在している人が意図しようとしまいと、何らかのメッセージは伝わっていくものでもある。
ずいぶん昔のことだが、ある患者さんから、「就職の面接にいくんだけど、いつものグレーのバッグと新しい黒いバッグのどっちをもっていったらいい?」とアドバイスを求められたことがある。いつものグレーのバッグは手垢などでかなり汚れている物だったので、面接ならば、きれいな黒いバッグのほうが印象がよいと考え、「黒いバッグの方がいいかなぁ…」と答えた。面食らったのは次の日のこと。彼女は面接の帰り道でコンタクトを無くしたという。そして「いつものバックなら無くすこともなかったのに、あんたのせいでコンタクトをなくしたのよ!!」と電話口で怒鳴りまくられたのである。
私は「私の意見を言っただけで、黒いバックにしなさいとは言っていない。どちらかを決めたのはあなたで、私に責任はない」といくら説明しても、相手には全く通用せず、しばらくの間彼女の怒りは収まらなかった。ぶちぶちと「坂田はそういういい加減な人間なのだ」と言い続けた。彼女の立場に立てば、恐らく、面接という緊張を強いられる場に出かけなければならないことで頭がいっぱいになっていたのだろう。自分で考えるなどということができなくて、私を頼りにし、全面的に私の判断に任せた。面接の緊張が続いたせいで、コンタクトレンズのことなど頭の中からすっかり消えていたのだろうとふと思い「ねぇ、あなた本当に黒いバッグにコンタクト入れたの?グレーのバッグ見てみた?」と言ってみた。彼女は、まさに我に返ったような感じで「え?」と聞き返し、しばらく間をおいて「あった」と小さな声で答えた。「ほら、みなさい」と言いたいところだったが私は「よかったね。じゃぁ、今日はゆっくり休んでね」と言って電話を切った。
多少「もやもや」が残ったままではあったが、「ま、いいか」と自分の心にけりをつけたと言うわけである。
看護部顧問 坂田 三允
春のつぶやき
2025/05/07
当院の前には大きなさくらの樹があります。
周囲のさくらの樹よりも早めに淡いピンク色になります。
今年もたくさんの花が咲き今では(4月中旬)葉ざくらになりました。
卒業式や入学式、入社式など出会いや別れ、新たな旅立ちなど私たちの生活の節目になる時期に欠かせないさくら。
こんなあわただしい時期に咲く…なのに、みんな立ち止まってさくらを見上げている姿はさくらに包まれ穏やかにみえるのです。
看護部長室長 緑川 雅
オスラー先生の3原則
2025/04/23
1849年のお生まれなので、ずいぶん古い方なのですが、ウイリアム・オスラーというカナダ生まれの内科のお医者様がいらっしゃいます。その方の「平静の心」という講演集があります。私はとても気に入っていて時々読み返すのです。
オスラー先生の3原則というものがありまして、それは何かといいますと、患者さんはどのような問題でやって来ているのかということを第1に、そして、それに対して私たちは何ができるのかということを2番目に考えて、3番目に、私たちがそのようにした場合、患者さんのこれからの人生はどうなるのかということを考えてから何かをなせということなのです。
患者さんはなんでここに来たのかっていうことを知るためには、聞かなければなりません。耳を澄ませて患者さんが言いたいことを聞き取らなければなりません。それは主訴として言葉になっていることとは全く違うことかもしれない。でも、その何かを見つけない限りは、私たちはそれに対して何ができるかを考えることはできないわけですね。ですから、言い古されたことではありますが、相手が伝えようとしているものに耳を澄ませてみようということ、また、患者さんと同じ目線で、同じ位置に立って、同じものを見る。同じレベルに立っているのだけれど、それから少し離れて一定の距離を保つということもとても大切なんだ、それが平静の心だとおっしゃっているのです。それは言葉を変えるなら、同情ではなく共感ということになるのかなと思うのです。でも、これが共感でこれが同情なのだと言葉で説明できるほど、私は達人でも何でもないのでうまく伝えられないのですが、いつもそうありたいと思っていることが、きっと大切なのかなと思っています。
次に何をしようかを考えることが始まり、私たちのすることが患者さんのこれからにどう影響を及ぼすのかを考えなければならない。例えば外科治療というのは、ある部分を取り除くことです。例えば胃袋の一部がない人を作り出すことですね。胃袋の一部がない人のこれからの生活がどうなるか。確かにがん細胞は取り除いたかもしれない。でも、胃袋のない生活をこの人はどうやって送っていくのだろうということまで説明し、その結果を考えた上で、私たちはその人に対して何かをすること。もちろん、理想どおりにすべてができるわけではないのだけれど、そういうことを考えないままに行ってはいけないことが、おそらくたくさんあるのだろうと思うのです。
看護部顧問 坂田三允
医者も病んでいる
2025/04/10
患者が病み、その家族も病むのと同様、医療者もまた病む。医師や看護師は自らを厳しく律して病気ひとつしない健康優良者であるかのような通念は、幻想に過ぎないと思う。
かのハリー・スタック・サリヴァンは、自らを予後の良い統合失調症と評したという。アイルランド移民の貧農としてアメリカに育った彼は、家畜が唯一の友という極限の孤独を潜り抜ける中で、精神の危機に陥った。後に伝説的な精神科医と仰がれる存在となったサリヴァンは、それゆえ思春期における同性間の親密な交流chumを、発病予防(レジリエンス)に欠かせない体験として重視した。その思想をもとに、同性看護師による小人数ユニットでの手厚いケアを実践し、まだ抗精神病薬のなかった時代に統合失調症治療において大きな成果をおさめ、独創的な精神医学理論を構築した(1) 。
あまたの選択肢から精神科へ導かれることは、おそらく偶然ではない。自ら心を病む、あるいは身近な他者が心を病むことを経験する等して、心の闇に強く巻き込まれつつ惹きつけられていく。あるいは、日々の臨床に身を浸すうちに、自らの心が蝕まれていったとしても何ら不思議はない。もとより深く精神を病む人間の治療に携わる業は、必然的に己が身を削るがごとき代償を課す。我が身を翻っても、予後の良い自閉症なのか予後不良のアルコール依存症なのかはさておき、操作的診断基準に照らし合わせれば、いくつかの精神障害に該当するかもしれない。ある者は飲み、ある者は搏ち、ある者は買い、市販薬をODする者も、自ら精神科ユーザーとなり投薬を受ける者も、秘密裡に自傷行為をする者もあろう。こうして我々は何とかして生き延びながら職務を全うする。しかし、不幸にして死を選ぶ者もある。一般と比してわが同業者の自殺率が高いことは、つとに知られた事実である。
精神の病いと限らない。私たちはおよそありとあらゆる病や災厄に陥る可能性を免れない。うつ病にも、統合失調症にも、認知症にも、心筋梗塞にも、癌にも、肺炎にも、不慮の事故にも、自然災害にも。堕した己を再び顧みれば、健診を受ける度に高血圧、肝機能障害、メタボリックシンドローム等と指弾され要治療と突き付けられるが、所詮はこんなものよとうそぶき、医者の不養生よろしく内服もままならない。ちなみにサリヴァンは、臨床的・学問的に大きな功績を残した後、世界会議の重責を果たすための渡航中、脳卒中により57歳でパリに客死した。
対岸の火事ではない。やはり、すぐにでも節制をせねば。1人でも多くの患者を救うために健康で長生きせねば。ジムに通ってエクササイズに励まねば…。いやいやいや、そうは問屋が卸さない、が本稿の論旨だった。おいそれと聖人君主にはなれず、日々大小の病を抱えながら生きざるをえないことにおいては、患者も医者も大同小異である。だからジムなどはやめにして、いざ酒場へゆかん。そしてしたたかに酔い、激務の澱を洗い流そう。
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(1)中井久夫 2012 『サリヴァン、アメリカの精神科医』みすず書房
診療部長 栗田 篤志
新しいことに挑戦するとき(基盤をしっかり学ぶ)
2025/03/21
新しい治療法や援助論がたくさん出てきています。それに挑戦していくことはとても大切なことだとは思いますが、それを取り入れるときに気を付けていただきたいと思うのは、それが生まれた背景やその基盤となっている理論などをきちんと学ぶということです。
少し前に、気分障害の新しい治療法について書いていただこうと依頼した医師から「看護の本にこういうのを書くと看護婦さんが寄ってきて、どうするのですかと方法だけを聞きに来る。うるさくてかなわない。だから、書かない」と言われたことがあります。
方法というか技法というのは、ある意味で手順です。手順を知ることで分かったような気になり、やってみようとしてはいけないのだと教えられました。変わってはならないということではなく、どんどん取り入れていってほしいのですが、基本はしっかり学ぶという姿勢を変わらずに持っていることが大切なのだと思います。
看護部顧問 坂田 三允