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生きていくにはゴミ箱が必要不可欠(愚痴は心の生ゴミです)

2025/01/22

暇をつぶしに来ていた彼女は3年、4年ぐらいたった頃「ごめんね、いつもごみ箱にして」と言いました。暇つぶしからごみ箱に昇格したようです。そのときに思ったのです。「ごみは捨てなきゃいけない」と。グチというのは心の生ごみだと思いました。生ごみをため過ぎたら発酵して爆発します。そのようになる前に捨てなければならない。こまめに捨てることが必要で、受け取る側のごみ箱は間口が大きくなければいけないとも考えました。間口が小さいと本人は捨てたつもりでも、ごみ箱の周りに散らかってるだけということになりかねない。だから、大きな間口のごみ箱でいるということがとても重要なのだと彼女から学ばせてもらったのです。捨てるということは、身の回りを整理することですからすっきりします。ごみ箱は返事などしません。黙ってただ受け取るだけです。受け取るというよりも、来るを拒まず立っているだけといったほうがよいかもしれません。でも、そういう存在も必要なのだということも学ばせてもらったと思っています。

                        看護部顧問 坂田 三允

家族も病んでいる

2025/01/08

患者の家族も、しばしば精神を病む。確かに患者自身も病んではいるが、負けず劣らずその家族も病んでいることがある。さらには患者として連れてこられた当人よりも、連れてきた家族その人こそが病んでいることも稀ならず経験する。考えてみれば、これは精神科に特有の事態かもしれない。例えば、骨折して整形外科を受診した患者よりも、その家族の方が重症の骨折だった、なんてことはおよそありそうにない。あるとすればせいぜい、感冒の子を受診させた親も同じウィルスに感染していた、という程度だろう。ただし感冒の場合、感染が判明してなおそれを否認する家族は少ないだろうが、自らも精神を病んだ家族は、その病状が重いほど病識を欠く。ここに、精神科患者の家族が精神疾患を病む固有の困難があると同時に、関係の病たる精神疾患の本質も垣間見える。


家族心理学にIdentified Patientという概念がある。直訳すれば、(家族の中で)患者として特定された人、だが次のような含意がある。病むのは家族なるシステムそのものであり、家族病理から析出された偶然の結ぼれとして患者があるにすぎない。だから家族療法は患者のみでなくその家族成員すべてを治療対象とする。これを敷衍すれば、病んでいるのはむしろ社会であり、患者は社会病理の犠牲者(スケープゴート)である、だから患者の治療よりも社会変革こそなされるべき、の思想に至る。反精神医学とよばれるこうしたラディカリズムが精神医学界を席巻した時代が、かつて本当にあった。確かに私たちも、控えめに言って患者よりも狂っているとしか思えない地域社会や行政と、日々闘っている。あくまで患者を護るためであり、社会を変えるのが目的ではないけれど。


さて、では深く病む患者家族と、私たちはどのように付き合えばよいのか。これが実に悩ましく難しい。病識なく拒絶的な重症患者に対する治療の方途を、精神医療はその長い歴史の中で培ってきた。しかし、病識なく拒絶的な重症家族にどう処するか、の知識や技法を私たちはほとんど持ち合わせていない。病んだ家族と折り合えなければ、結局は患者の治療も失敗に終わる。


精神科臨床における諸事象の多くがそうであるように、おそらくこの問いにも正解はないだろう。ただ、ひとつ言えることがあるとすれば、いかに病理の深い家族でも、患者にとっては嘆かわしくも不可避的で代替不能な存在ということだ。家族という閉じられた二者関係において、傷を抱えぬ者などいようか。殊に重い傷を抱えた家族に他者が踏み込まざるをえない時、手痛く返り血を浴びることもあろう。他ならぬ私も、多くの血を浴びてきた一人である。それでもなお、重症家族をいかに手当てすべきか、今も問い続けている。

                            診療部長 栗田 篤志

時間は誰にも平等に与えられる(暇をつぶすのは難しい)

2024/12/20

その後、私は転換性障害の患者さんに出会いました。その方と出会ったことは、私にとってとても意味深いことでした。外来通院時に、私のところに寄って1時間ぐらい話をしていくことが彼女の日課に入っていたらしく、そういう生活がずっと続いていたのですけれど、そのときに彼女は「ごめんね、暇つぶしの相手をさせて」というふうに言っておりました。そのときは「暇つぶしねえ・・・」と多少の不満があったのですが、暇をつぶすというのは人間にとってとても重要な問題なのだということを後になって知ることになりました。
人間は24時間という時間を平等に与えられています。私たちは24時間あっても足りないと思う様なときもあると思います。でも、何もすることがない、アパートに1人で退院した患者さんは24時間をつぶすことができません。ご飯を準備して、食べて寝る時間を引いても、かなりたくさん時間が残ってしまいます。例えばデイケアに通うとか作業所に通うなど、何かすることがあればよいのですが、そうでないとほんとうに一人ぼっちで、訪問販売にだまされてしまうのです。訪問販売の人はお話がとても上手です。とにかく相手の話をよく聞く。ある日、看護師が訪問すると、患者さんの六畳一間に立派な掃除機が置いてありました。「どうしたの」「買った」「幾ら」「48万」「どうするの」「1万円のローン」「あなたの収入は障害年金が月これだけ。アパート代がこれだけで1万円払ったらどうなる」「払えないね」ということは説明すればわかってもらえて、今度は契約する前に教えてと言ってきたにもかかわらず、2週間後に行ってみたら、52万もする電磁治療器とかいうものがありました。
そのとき患者さんが言ったのは「ほんとにいい人だったんだよ。いっぱい聞いてくれて」ということだったそうです。通院日や訪問看護が入る日以外ずっと1人でいたら、やっぱり誰かと話したくなるだろうなと思います。退院を考えるときには暇をつぶすことも含めてきちんと考えていかなければならないと思いました。

看護部顧問 坂田 三允

「夏に原稿依頼を受け完成したら、ちょっと季節が」

2024/12/02

とても暑い夏でした。“猛暑”という言葉を一日に何度聞いたでしょう。そしてこの“猛暑”が原因で起こる“熱中症”も、耳にしない日がないくらいでした。
“猛暑”=“熱中症”が、普通に日常会話の話題として、場合によっては挨拶のように使われるようになってしまいました。
“熱中症”とは、高温多湿が原因で、身体の水分や塩分のバランスが崩れてしまう状態です。
更に進んで体温の調節機能が崩れてしまうと、体温が上昇した状態が続いたままになってしまいます。これはとても危険な状態です。
初期の段階では、身体から水分が減少することにより、脳や筋肉などに十分血液がいきわたらないため、めまいや立ちくらみ、手足のしびれや気分不快感といった症状が出現します。
さらに進行すると、心臓に戻る血液が少なくなり、結果的に、脳や内臓への血流も減少するため、肝臓や腎臓の機能も障害され、吐き気や嘔吐、激しい頭痛、からだに力の入らない脱力状態となり、真っすぐ歩けない状態となります。
この状態が改善されないまま続くと、更に体温が上昇し、脱水と循環不全(身体中の臓器への血流が極端に減少し、機能できなくなった状態)がさらに増悪します。体温が40℃以上に上昇してしまい、脳を含む重要臓器の機能が一層障害され、体温調節が全くできない状態となり、全身がけいれんしたり、意識がなくなる昏睡状態となることも稀ではありません。高齢者で身体の衰弱が激しかったり、身体疾患がある場合は、最悪のケースでは死に至ることもあります。

本来、人間には、少々気温が高くても、あるいは低くても、上手に順応する機能が備わっています。
それは自律神経というシステムです。
自律神経は身体中すべてに張り巡らされ、すべての臓器のバランスを保ち、ストレスや環境の変化に応じて体内環境を微調整しながら一定に維持する役割を担っています。
一言で言ってしまえば、“熱中症”の怖さは、自律神経系の働きを壊してしまい、健全に機能できない状態にしてしまうことです。

この自律神経系の障害は精神の疾患とも深いかかわりを持っています。
季節の変わり目などに精神状態が不安定になる、気分の変動が激しい、睡眠状態が極端に悪くなる、あるいは過眠となるなどは以前から知られています。
また、うつ病や統合失調症、更には認知症の症状にも自律神経系との関係が指摘されています。
パニック障害や“不安障害”では自律神経の症状が顕著に認められます。
自律神経系は心身のすべてに影響を与え、その一方で、心身の内からの、そして外からの“ストレス”に過敏に反応して症状化します。
これからの季節は、むしろ外的な環境の変化が自律神経系に対して“ストレス”となり、精神面での変調として現れることもあります。
自律神経の働きについて知っておくことは、“熱中症”だけではなく、自身の心身の安定にとってプラスに作用するでしょう。

副院長 野瀬 孝彦
                                           

「あなたのために」と「私のために」‐②

2024/11/11

引き続き40年以上の前の話ですが、そのときは私が悪いなんて思っていなかったです。躁状態に面と向かっていっちゃいけないなど学んだ記憶はなかったですから、私は真面目に応対したのになんでこんなことになるのよって怒っていました。ですから、次の日、報告して「もう隔離してください」と言いました。主治医は隔離してくれました。でも、そのときに「君のためにするんだからな」と言われたのです。
その意味を私は長い間分かりませんでした。反省もしていませんでした。そしてそのときから、とにかく夜中に起きてくる患者さんには、向こうが何か言う前に追加の眠剤を渡していました。眠れないと言われたわけでもないのに「はい飲んで」と。眠れないのがつらいだろうから患者さんは早く寝かせてあげようと眠剤を渡していたのは、私が大変な思いをするのが嫌だったからにすぎないんだということが分かったのはずいぶんあとのことでした。とても恥ずかしく思いましたし、患者さんに悪いことしたと思います。でも、やってしまったことは取り返しがつかない。後に生かすしかないんですね。
何かの行為をするときには、ほんとにこれは患者さんのためなんだろうか、私のためにやってないだろうかということを吟味しながらやらなければいけないということなのだと思いますし、何かにひっかかりを感じたことを手がかりに自分の行いを振り返ることもとても大切なことだと思っています。

看護部顧問 坂田 三允

災害ヘルメットをかぶった事はありますか?

2024/10/25

今年の8月8日、宮崎県の日向灘沖で最大震度6弱の地震が起き、南海トラフ臨時情報(巨大地震注意)が発表されました。南海トラフ地震はマグニチュード8~9クラスの地震が今後30年以内に70%~80%の確率で起こるといわれている巨大地震です。また南海トラフ地震とは別に首都直下型の地震も同様の確率で起こる可能性があります。いつ起きるかわからない巨大地震に対して私たちはどんな準備や訓練をしておくべきか真剣に考えなければなりません。当院の災害対策チームは2016年5月に発足され、少しずつ準備を進めてきました。緊急連絡網の作成、災害備蓄品の購入、インフラ(電気・ガス・水)の設備確認、そしてBCP(事業継続計画)の作成をしてきました。定期的な訓練としては、一斉情報共有システム訓練、非常食作成訓練をしています。
そして先日、実際に災害備品を取り出して使用する訓練を行いました。災害備品は簡単に組み立てられるような仕組みになっていると思っていましたが、フタを開けてビックリ、なんと腰掛イスすら作れない!どう組み立てるのかわからず、5分以上四苦八苦してしまいました。ただ一度完成させてしまうと、それはもう簡単なのです。次に簡易トイレのテント、広げるのはすぐにできたのですが、今度は折りたためない!!数人のスタッフで色々と試しても結局折りたためず、最後はYouTubeに助けてもらう始末でした。備蓄品は購入して準備完了ではありません。実際に使い方を把握しておくまでが準備です。発災してから、これどうやるの?では手遅れです。昨年に参加した研修で、まず何から始めたらいいか質問したところ、「ヘルメットをかぶる事から始めましょう」と教えていただきました。まずは自分自身の命を守るという意味です。皆さん職場の防災ヘルメットをかぶった事はありますか?是非ともかぶってみて下さいね。

看護部長 村上 朋仁

袴田巖さんの再審無罪確定

2024/10/10

死刑判決を受けていた袴田巖さんの再審無罪が確定しました。時々報道されているのでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、袴田さんは釈放翌日の2014年3月28日から2か月間、縁あって当院に入院し、私が主治医となりました。この当時は病院業務や患者さんへの悪影響を防ぐため秘密にしていましたが、2019年にはご本人をはじめ関係者の許可を得て経過を学術誌で報告しました。
入院はもう10年前のことです。当時在籍した職員は、主として弁護士・支援者などへの対応で、普段とは違うことに気を遣って大変でした。これを丁寧にやってくれた全職員に今も感謝していますし、また誇りにも思っています。
袴田さんの示している症状は拘禁反応でした。入院は治療というより袴田さんの身体・精神状態の把握と生活支援体制の準備のためでした。残念ながら入院中には症状が軽快したとは言えませんでした。釈放されてもなお「死刑囚」であったことが大きく、真の改善には「死刑囚」の地位からの解放が必要であると感じられました。
袴田さんや、お姉さんをはじめとした関係の方々の長年の労苦には、かける言葉も見つかりません。私たちも、ごくわずかなものではありますが、役割を果たしたこと、改めて誇りに思います。袴田さんには、今回ようやく真に死刑から解放され、当院の治療ではなし得なかった症状の改善が、少しずつでも実現することを切に願います。

2024年10月10日 院長 中島 直

「あなたのために」と「私のために」‐①

2024/09/20

私たちは患者さんのためにいろいろなことをしているつもりでいます。でも、よく考えてみると、それは病院のためであったり、病棟のルールに縛られているだけのことであったり、私のためであったりすることもまれではないような気がします。少なくとも私は患者さんのためといいつつ、私のためにやっていることがあるなあと思います。
今から40年以上前の話で、これはもう100%、完全に私が悪いのですけれど、躁状態の患者さんと議論をしてエスカレートさせてしまいました。議論をしてと言うと聞こえがいいのですが、議論どころの騒ぎではなくけんかです。
その患者さんが夜、眠るころになって「おなかが空いたから何か食べさせろ」と言ってきました。正面切って「何もありません」と答えました。「ご飯が残ってるはずだろう、おにぎり作ってこい」「ないです」と何度も言い合い、終いには「駅前にこれから車で行ってラーメン食いに行こう」「冗談じゃない」という話になり「さあ、もう寝ましょう」と話を打ち切りました。それで終わったと思っていたのですが、とんでもないことでした。すでに眠りについていた患者さんを全部起こして「何か食い物はないか」って聞いて回ったんです。起こされた患者さんたちに「看護婦さん、何とかしてくださいよ」と言われて、大変な目にあったのです。

看護部顧問 坂田 三允

今日は始業式でした

2024/09/03

今日は当院の院内学級(小平特別支援学校武蔵分教室の一部という扱い、通称「風の学校」)の始業式でした。
当院に学童期の子たちが多く入院するようになり、教育の機会の保障のため、関係各所のご協力のもと、2019年2月に「風の学校」が開設されました。2022年3月に当院が児童思春期病棟を作ったことで、その役割はますます大きくなっています。いろいろな症状や行動上の問題、悩みを抱えている子たちですが、学校では全然違った面を見せることは、私たちにとって驚きであり、また学びでもありました。子たちは成長していきます。病棟では日々いろいろな問題が起きて大変ですが、この成長は、私たちの大きな励みになっています。院内学級は大きな役割を果たしています。先生方が、一人一人の子たちが意欲を続け、また学習効果を上げられるように、日々いろいろな工夫をしています。子たちもそれに応える努力をしています。
始業式や終業式と言っても、ちゃんと椅子に座っていられない子たちもたくさんいるのですが、今日は、なぜかほとんどの子たちが熱心に先生方の話を聞いていました。私も院長として、皆に2学期の間頑張ってほしいというお話をしました。

院長 中島直

患者さんの言動には必ず意味がある‐②

2024/08/30

それから2~3週間後のことです。2人の看護師が後ろからビシッとたたかれて、お湯を掛けられました。その時には入浴のときのことなど忘れておりました。いきなりのことだったので「何?何?」という感じでした。でも、患者さんはその2人(お風呂から引っ張り出した看護師。私はすでに引っ張り出した時に顎を蹴られて舌を噛み痛い思いをしていた)以外には手を出さなかったのです。それで「あ、仕返しなんだ」ということが分かりました。仕返しと言うと言葉は悪いですが、よっぽど嫌だったんだろうなと思ったのです。気の毒なことしたと思います。それはそれとして、もし、お風呂つながりで覚えていなければ、彼女の行為は訳の分からない行為と考えられていたかもしれません。

看護部顧問 坂田 三允